内藤記念くすり博物館内にあるパネルです。

養生、長命

Wikipediaによると、『養生とは、生を養う、すなわち人間の身体の状態を整えること、健康を増進すること、病気の自然治癒をうながすことなどを指す。』

今から300年ほど前の江戸時代は、男女とも27・8歳前後の平均寿命で、飢饉、疫病の流行期には17・8歳だったとの記録があります。

「お役三病」と言われる天然痘(疱瘡)、麻疹(はしか)、水疱瘡(水痘)で亡くなる人も多く、災害や飢餓も多く、乳幼児が5歳まで生きる確率も非常に少なかったからです。(死亡率は全死亡率の70~75%を占める。)

ですが、乳幼児の死亡率を除いてみると、今と遜色ない70歳を超えた平均寿命とも言われています。

長寿者たちをお城に招き、お殿様にお目見えさせるために、「90歳より100歳以上男女調べ」をしたという文章が残っているくらいです。

今とは比べ物にならないくらい医療の発達していなかった時代ですが、養生訓の貝原益軒は、病弱ながら、自らの養生で、85歳の天寿を全うしています。
杉田玄白85歳、滝沢馬琴82歳、葛飾北斎90歳、錚々たるメンバーを思い出します。

江戸時代に、長寿だった人たちが、どんな生活を送っていたのか気になりますね。

江戸時代、八代将軍徳川吉宗は、知識のないために多くの命が失われていることを悲しみ、庶民向けの医学書『普救類方』を幕府の医師に命じて編纂させました。

普救類方
普救類方

その後起こった享保の大飢饉、飢饉時は栄養不足や遺骸の放置のためしばしば疫病が流行しました。また野草を食べて中毒死する人も多く、それらを救うための薬方や食事療法、治療法を記した、『救民薬方』を全国に配りました。

救民薬方
救民薬方

どちらも、国立国会図書館デジタルコレクションから、引用しました。

この時代の庶民が手に入れた健康情報は、これらに加えて、昔から代々伝わってきた知恵があったのかもしれません。
生死が身近で、常に覚悟みたいなものもあった気がします。

今はいろんな健康情報がネットから簡単に手に入ります。

どれを選んだら正解なのかわからないくらい、いろいろな情報で溢れています。気持ちのすれ違いもあちこちで起こっています。

周囲がいかに変化しようと、養生訓的に言えば、基本は変わらず「食事・運動・睡眠」の日々の養生が大事だとなるのでしょう。

コロナ禍の中、世間との交際からは少し離れることになりますが、そこで生まれた時間を楽しく過ごし、心まで、新型ウイルスに持っていかれないことが大事なのでしょう。

それでは、またね。
チョークディナカー!