人の数だけ事情はある。だから、人はそれぞれの生き方になる。

誰それがこうだから、自分もこうあらねばと人の事情に合わせて生きるのは大変だ。

我が道を行く「私はこうしたい!」と言えることは、すてきなことではないだろうか?







昨年末、転職したばかりの息子から、会社を辞めたいとの連絡があった。

久しぶりの家族旅行、顔を合わせて話を聞いた。彼なりに真剣に考えての結論だった。




初めて彼が会社を辞めるときには、東京に駆けつけて、話を聞き、説得もした。
しかし、彼の言うエンジニアとしての理由は、何度聞いても、私には理解できなかった。
理解できなかったけれど、辞めたい気持ちは分かった。そして説得は諦めた。

その後エンジニアの派遣を何年か経験したあとに、希望だった外資系の技術職の仕事に就いたばかりだった。何年か頑張れば海外に出られるという希望を持っていた。

しかし、日に日に彼の電話の声は暗くなっていき、数ヵ月後には、明らかに精神状態が不安定だと電話口からも分かるようになっていった。

彼には彼の事情があり、年齢を考えれば決断は少しでも早いほうがよいのだろう。

だが、日本のエンジニア社会は狭いらしく、短い期間で辞めると、とかくの風聞があるらしく、次の転職が難しくなるらしいのだ。それでも、彼は今年1月末で退職した。




さて、それからが、今でも信じられない展開となる。


2月頭までは、私が冗談半分「タイは?」て言っても、「ないわ!o(`ω´*)o」と言っていたはずなのだが…。

1月、海外で働ける道を模索する。書類提出、面接等の日々。

2月、タイバンコクへ、現地で面接の日々。

3月、念願の技術者枠での現地採用が決まる。我が家に居候して、準備諸々。

4月、チェンマイで働き始める。



現地採用なので、これからは、日本の社会制度から出て暮らすことになる。

駐在員と現地採用との差、厳しさも理解し、彼は大きな決断をした。

10年以上、一人暮らしをしていた彼には、それなりの生活道具があったが、それら一式を処分し、スーツケース1つで旅立っていった。




3月末から出発までの、息子との生活は、神さまが母親にくれたご褒美のような時間だった。

トークセンで、痛んだ彼のからだとこころを解きほぐし、彼の表情が変わっていくのを感じながら、毎日毎日たくさんの話をした。


一緒に買い物したり、お花見にも行った。桜の花に彼は何を思っただろう?

母としての願いは、元気で、笑顔で頑張って欲しい。それだけだ。


タイで感じた、彼の直感が正しいことを願っている。

チェンマイって、とっても良いところだよ(o´ω`o)


旅の目的に、息子訪問が加わり、ちょっぴり複雑な気持ちではある。

半年前にはこんなことになるとは思っていなかったのだからね。



時折、写真を送ってくるが、何とかやっているらしい。




息子とタイで会える日が来るまで、お互い頑張りたい。


親愛なるチェンマイ在住のみなさま、息子をどうぞよろしくお願いいたします。


それでは、またね。

チョークディ~